この病気の事はよく分かります。
だって私も同じ病気、ぺルテス病になりましたからね。
ただ、ぺルテス病の場合は小児の時期になる病気であり、成人してからとは違って復活しやすい。
まだ、これから骨が出来る時期だから治りやすいと言う事で、難病とはされていないよう。
しかし、難病では無いと言っても、完治までは大変でした。
幼稚園児の時の運動会でたまたま母が撮った跳び箱を跳ぶ写真。
これの写り方がおかしかった。
心霊写真とかでは無いんですが、、普通跳び箱を跳ぶ時に両足をハの字に開いて跳ぶもんなんですが、片足はしっかり開いているのに、もう片方は開いていない。
それに気付いた母が、病院に連れて行ってくれた。
少しびっこをひいていたかも知れません。
自分では全く意識していませんでしたからね。
最初は隣町の少し大きな病院に行って診察してもらい、異常無しと言うかその病気は分からないと言う感じだったかと思います。
まだ幼稚園児なのでよく分かっていませんでした。
そして、さらに大きな病院に行って診察してもらって、その病気が判明。
それがぺルテス病。
坂口憲二さんの特発性大腿骨頭壊死性と同じ症状。
股関節の丸い骨の部分が壊死する病気です。
治療方法は手術と言う事で、それまではベッドで寝て、壊死してる足の方にベッドの上から重りを吊り下げて引っ張る感じで待機していると、そんな状況。
そして手術。
麻酔は全身麻酔では無かったような気がしますね。
ずっと泣いてた記憶があります。
この手術が3回目。
1回目は扁桃腺を切る手術で全身麻酔でしたね。
2回目は自転車事故かな?
1回目と2回目はどっちが先かは覚えていない。
物心がついてすぐくらいだと思います。
母はしっかりと生命保険を掛けていてくれていたので、手術代の負担もそれ程大きく無く助かったと話していました。
やっぱり、保険は掛けておくべきですね。
もちろん、入院、手術で運動は出来ず。
入院する期間はそれ程長くは無かったのですが、運動が出来ない。
松葉杖生活です。
そしてしばらくすると装具が出来上がる。
股関節に体重を掛けなくする装備のようなものです。
この装具を2年間装備してました。
小学生1,2年の時です。
この2年で一応治療は終了。
まだ完璧とまではいきませんでしたが装具をはずし普通の生活はOKとお医者さんの判断でした。
そうそう、この時にさらに大変の目に合うんです。
病気の足は右足なんですが、家に中では装具も付けず松葉杖もつかない状態。
左足でケンケンしてるか、物に捕まって移動する感じ。
で、左足でケンケンしてると、つまずいて転んでしまったんです。
その時に左足を骨折と言うか、かかとにヒビが入ってしまう。
右足に体重は掛けれず、左足はギプスで固定と言う事になってしまいました。
右足に体重を掛ける訳にはいきませんので左のギプスの足で歩くと言う風になりました。
病院の先生も困りましたが、ギプスの土踏まずの辺りにハイヒールのヒールを付けて固定して歩いていたように思います。
本当に病気の事では大変な事に合ってばかりなんですよね。
なので、病院には慣れまくっていると言う訳です。
で、その後も何度か通院して、小学5年生の時にもう一度手術した記憶があります。
この時は何の手術だったのかよく分かっていませんが、この手術の後も普通に生活していたように思います。
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このように、難病では無いにしろ、治療は大変でした。
小学生の私でも小学1年生の時に骨を削って普通に運動しても良いと言われるまで6年掛かりましたしね。
この病気が大人になってからだとさらに大変だと思います。
もう、そんなに早く骨が復活する訳ではありませんからね。
難病と言われる事も分かります。
ただ、まだ治療法はあるようですので、頑張って欲しいなと思います。
その治療をする事の経験が何かのプラスになる!と前向きにですね。
それでは今日はこの辺で。
ではまた。
ギックリ腰は年寄りの病気?いいや若者の病気です。私のギックリ腰経験談
坂口憲二さん、特発性大腿骨頭壊死性で活動休止ですが、私も・・
私の場合は小さい時に同じ症状で大変でした。
普通に生活出来るまで2年、普通に運動が出来るまで6年です。
成人してからだともっと大変だと思います。
詳しく読むhttps://t.co/SjXwZDo0Hh— ゆーつー (@yuutuu9) 2018年4月1日