幼稚園児の時の私の病気、ぺルテス病、今は完治してます。周りの方々に感謝。

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今日はちょっと昔の事を書こうかと思います。

私は、幼稚園児の時に、ぺルテス病と言う病にかかりました。

今は完治しています。

周りの方々に感謝です。

完治は小学校6年生頃だと思います。

小学校時代は満足に運動する事が出来ませんでした。

この頃、いつも思っていた事は、野球がやりたいって事だった気がします。

ですが、小学校高学年くらいにファミコンが流行って、それ以来、ゲームが楽しくて野球がしたいとはあまり思わなくなっていたように思います。

でも、野球が好きで、中学生くらいまでは、プロ野球観戦(TVで)、ゲームも野球ゲームをよくやりました。

任天堂のベースボール、ファミスタ、燃えろプロ野球、ハリキリスタジアム等です。

自分が運動出来ないから余計にハマっていたかも知れません。




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少し話しがそれましたが、病気の話で言うと、最初は幼稚園の運動会。

私が跳び箱を跳んだ瞬間に母が写真を撮ってくれました。

その跳んだ瞬間の足の形がおかしかったと言うのが気になって病院に連れていかれました。

どっちの足がだったか忘れましたが左足と右足で足の開き方が違うからおかしいと思ったらしいです。

その時の私は足が痛いとか、何か違和感があるとか、そう言う事を全く意識していなかったので、なんで病院に連れて行かれたのかが分かっていませんでした。

最初に連れて行かれた病院では、異常無しか、様子見的な診察だったんじゃないかな?

私はまだ幼いので、診察結果とかはちんぷんかんぷんです。

で、やっぱり母は気になっていたのでしょう。

当の私は痛くも、かゆくも違和感もなにも無いので、なんとも思ってませんでしたが、今度は最初に言った病院より少し大きな病院に連れて行かれ、その時に病名が分かりました。




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ぺルテス病と言う病気です。

ぺルテス病と言うのは、大腿骨の骨化核が虚血性の壊死の状態になる病気だそうです。

自分は自覚していなくても歩き方がおかしいとかもあったんだと思います。

この病気は男子に多くて、その時聞いたのが500万人に1人くらいの確率でかかる病気だと聞きました。

で、その病気が判明して入院、手術をする事になりました。

これが手術2回目でしたね。

最初は扁桃腺を切る手術、保育園に行く前だったかな?

あまり記憶ないです。

そして手術は部分麻酔、かなり痛かった思い出があります。

なんか針? 手術道具なんだろうけど、かなり痛かったと思います。

なんか、針みたいのか、注射器みたいので刺してぐりぐりされてた気がします。

麻酔してれば痛くないだろうけどなんでだろ?

兎に角、手術中は、ずっと泣いていました。

手術終わったよって言われてもずっと痛くて、「早く針抜いて!」って叫んでいた事を覚えています。




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当時の入院時の思い出は、バターケーキをお見舞いでもらったけど、バター味が濃くてあんまり食べれなかった気がします。

ショートケーキサイズの半分くらいしか食べなかった気がします。

そもそも、その当時は食が細く、お茶碗1杯のご飯もなかなか食べられず、ガリガリでずっと親に心配をかけていました。

今では、少し痩せなあかんでって言われるくらいにたくましく(汗)

入院中、部屋で流れてたTVが「笑ってる場合ですよ」って、笑っていいともの前番組ですかね。

その頃の記憶ってあまり残ってないけど、入院した事で、その時の記憶だけはちょっと強めに覚えてる気がします。

で、手術の後はベットから動く事が出来ず、右足が病気だったので、寝ている間はずっとその右足に重りを付けてた。

ベットからだらーんて下に重りがぶら下がっている感じ。

足をずっと引っ張っている状態にしておかないといけなかったんでしょう。

手術後は特に問題も無く退院。

小さい時から母が生命保険を掛けていてくれていたので助かりました。

まぁ、私は当時お金の事なんて全く分かっていませんでしたけどね。

よく病気やケガをしたので、生命保険に国民保険はありがたかったんだと思います。

扁桃腺、自転車事故で大けが、ぺルテス病、骨折2回、喘息、風邪等々、中学校卒業までは病気にケガに盛りだくさん。

高校性くらいからは大きな病気はありませんけどね。




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で、退院してしばらくは松葉杖で右足に体重かけちゃダメ!って言われてて、それはもう真面目に言う事を守って生活してました。

たまに松葉杖をつきながら走り回ってましたけどね。

その後、装具を装着。

松葉杖は装具が出来るまでの繋ぎみたいなもんで、装具は個々の体系に合わせて作るので時間がかかりましたからね。

その装具がたしか、小1の時だけだったかな?

やっと小2で装具を外し、通常の生活が出来るようになったと思います。

ですが、運動は禁止、軽い運動でもダメだったと思います。

体育の時は特別学級でストレッチ的なものを少ししていたような気がします。

小3でやっと運動解禁。

友達と少しかけっこしたり、体育の授業程度はOKでした。

ドッジボールやサッカーが楽しかったなぁ。

最初にも書きましたが、野球がしたいと思っていたので、通常小3からスポーツ少年団に入れるんですが、もちろんドクターストップ。

残念でした。

今度は小4からクラブ活動。

もちろん運動クラブはNG

小4で絵画クラブ、小5,6は将棋クラブ。

でも、文化系の活動の方が自分に合ってたのかも知れない。

何度も絵描きでは賞をもらいましたから。

で、ぺルテス病の経過で言うと、もう一度小5で手術。

この時は、同じく痛かったけど、2回目だったから慣れてたのか?

がまん出来た。

小さい頃からこんな事になってたら、予防注射なんて、へ、みたいなもんだ。




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もう、その後は完治に向かって行くだけで、普通の生活。

中学生になってから運動部に入部解禁。

野球部に入ったけど、ついて行けず、2週間で辞めて帰宅部に・・・

走ってもすぐに息が上がるので仕方がない。

後で気が付いたけど、小5の心電図検査に引っかかってて左心房肥大、経過観察だったけど、それが息が上がる原因だったかもしれない。

練習すれば息が上がらなくなるんでは?って思うレベルではなかったように思う。

心臓に関しても何年か経過観察で通院したけど数年で、変化が無いので通院も必要無いでしょって事で終わりました。

今は、全く足の事は気にせず、びっこを引くとかの異常も無く特に通院とかも無く普通に生活しています。

まだまだ色々と、病気した経験はありますが、やはり病気になって思う事は、周りの方々、親や、お医者さん、学校の先生等に感謝ですよね。

このように色んな人に助けてもらっていると、また自分も何か周りの人を助けたいって気持ちになります。

たまに誰かに病気の話をすると、「それでそんな感じなんか、今までに色んな人に助けられてきたからなんだね」のような事を言われる事があります。

最初に言われるまでは自分では気付かず、あたりまえの事だと思ってたんだけどね。

性格って育って来た環境が影響すると言うのはよく分かります。

まぁ、人に何かしてあげる、し過ぎるとおせっかいになるので気を付けないとね。




病気の治療で処方箋、薬局、薬店で聞いておきたい事。

坂口憲二さん、特発性大腿骨頭壊死症で活動休止ですが、私も・・


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